おもしろ雑学
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| 7)魚へんの文字 | ★2002/3/20up |
| おすし屋さんの湯のみ茶碗でよくお目にかかる魚の名前。 全部魚へんがくっ付いてます。文字の右側の字つくりを考えるとイメージが浮かんでくる魚も多い。 さて貴方は何文字読めますか?
1)あじ、2)あゆ、3)さば、4)いわし、5)さわら |
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| 6)難読地名 | ★2001/9/11up |
| 日本語の地名には、むやみに難しい漢字を使ったモノがあり、頭が痛くなります。 たとえば、次のものが全部読めたら、あなたは相当な地理通と言ってよいでしょう。
さて、いくつ読めました?▼答えは・・・・
★帯解(おびとけ)静岡県袋井市、男女倉(おめぐら)長野県小県郡和田村、十八女(さかり)徳島県阿南市とくると、想像をたくましくしてしまいそうなストーリーが出来そうですね。( ̄ー ̄)ニヤリ |
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| 5)駅弁 | ★2001/7/21up |
| 見知らぬ」土地の風景を眺めながら、その土地の独特な駅弁を食べるのは旅の大きな楽しみですよね。ところでこの駅弁はいつから売られるようになったのか? 初めて列車が走ったのが」明治5年、品川〜横浜間だったがこのころは駅弁はなかった。その後、明治18年7月16日、日本鉄道(現在のJR東北本線)が上野〜宇都宮間を開通させた際、宇都宮駅で初めて駅弁が売られた。その駅弁は、ゴマ塩を振りかけた梅干し入りのニギリ飯が2個にたくわんを付け、竹の皮で包んだモノで値段は5銭。ソバ一杯が8厘と言う時代だからかなり高価なモノだった。 駅弁の値段の高いこともさることながら、当時の駅舎は野ッぱらの真ん中にポツンと建っていたし、列車は一日四往復するだけで乗降客も少なく、駅弁もあまり売れなかったという。 |
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| 4)マラソン | ★2001/7/12up |
| 紀元前490年のマラトンの戦いで伝令がマラトンの野からアテネの城門に走り着いて、戦いの勝利を告げた後絶命した、その事故を記念したものである、と言うことは良く知られています。 近代オリンピックが開催される時、オリンピックの創始者、クーベルタンにマラソンをするように勧めたのはフランスの語源学者だそうです。彼は、マラトン古戦場からオリンピック第一回大会の会場になったアテネ競技場まで走り、距離は40キロであると言いましたが、後で実測したところ36,75キロメートルしかありませんでした。 ところが、その時に40キロであると言ったため、その後のマラソンは40キロが標準と言うように考えられました。現在のように、42,195キロメートルを公式距離と定めたのは、1908年にロンドンで開催された第4回オリンピック大会のときです。この時に国際陸上競技連盟が42,195キロメートルと決めたためそれ以降はこの距離が公式距離となりました。 |
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| 3)キャディ | ★2001/5/8up |
| ゴルフと言えば、かつては男のスポーツと言われ、中高年男性の専有物みたいなモノだった。 ところが最近は、女性もゴルフに熱中するようになった。 そのゴルフに欠かせないのがキャディ。 優れたキャディは、距離や使うクラブなどのアドバイスできるほど。 このキャディという言葉、誰が最初に使ったのだろうか? 16世紀中頃、スコットランドの女王メアリーは大変なゴルフ好きだったそうです。 暇さえあれば、グリーンにでてゴルフを楽しんでいた。 当時、少年達がボールを集めたりしていたのですが、メアリーは彼らを「キャデ」と呼んでいた。 この「キャデ」とは、フランス語で「貴族の若者」という意味です。 これがのちに「キャディ」という言葉になったのです。 日本で最初のゴルフコースは明治36年、神戸に造られた「六甲クラブ」です。 9ホールのコースで、ここに50人のキャディが働いていた。 この人達が日本のキャディ第1号です。 最もボールは「マリ」、ホールは「穴」と呼んでいた時代です。 キャディのスタイルも脚絆にわらじ履き、手ぬぐいの鉢巻という、今では考えられないものだった。 |
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| 2)野球 | ★2001/5/2up |
| 野球は日本で最も人気の高いスポーツです。 初めて日本に野球が伝えられてのは明治6年のこと。 この年開校した開成学校(後の東大の母体)に赴任してきたアメリカ人教師が生徒に野球を教えた。 しかし、これはほとんどソフトボールみたいなモノだった。 同年、新橋鉄道局の技師・平岡照が、1本のバットと3個のボールを持って米国から帰国した。 この平岡が中心となり、明治11年に新橋駅の駅員を集めてチームを作った。 これが日本での初めての野球チームだ。 グローブなどの道具を使用したのは、ピッチャー、キャッチャー、ファーストだけ、あとが素手だった。 ルールも一定しておらず、ストライクゾーンは打者が勝手に決めていた。 たとえば、低めが好きな打者は低い球を、高めが好きな打者は高い球を審判にあらかじめ伝えておく。 それを審判がピッチャーに知らせてストライクゾーンが決まる。 こうして打者がバッターボックスに立ち、ピッチャーがボールを投げた。 当時は「ベースボール」と呼ぶのが普通だった。 野球という訳語を考案したのは、明治28年頃で一高の選手だった中馬庚(かのえ)だったらしい。 |
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| 1)自転車 | ★2001/5/2up |
日本で初めて走った自転車は明治3年、アメリカから輸入されたモノだった。 全て木製で後輪が前輪よりも大きく、足で地を蹴って進むモノでした。 当時は「自在車」とよばれ、その他「台人車」「乗切車」「自転車」などの呼び名があった。 「自転車」に統一されたのは明治10年頃。大変高価なモノで今の高級車なみ。 明治16年、四国の高松に住む宮武外骨氏が自転車を神戸で見つけ得意げに乗り回したそうだ。 その値段が¥300。巡査の初任給が¥6、警部の最高でも¥50と言う時代だからかなり高価なモノだった。 国産で初めての自転車は、横浜の梶野甚之助が作った。 しかし全て木製で余り普及しなかった。 本格的な国産自転車を作ったのは、猟銃メーカー経営の東京・宮田栄助氏。 銃と同じ方法でくりぬいたパイプを使い、タイヤ以外は全て自分の工場で作ったという。 明治26年頃のことである。当時、自転車はハイカラ趣味の金持ちのマイカーだったそうです。 |
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